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最近、若い方々に「北の国から」の話をしても通じない事が多い。
悲しい。
私は「北の国から」が大好きである。
テレビドラマシリーズからすべて何度も見ている。
その「北の国から」のなかで「泥のついた一万円」の話を御存じであろうか。
簡単に説明すると
息子(純)が上京する時に、トラックの運転手さんに送迎を頼んだ父親がその御礼にと用意したピン札の一万円札に泥が付いていた。運転手はこのお金を用意する為の苦労を感じ「受け取れない、一生持ってろ」と純に渡す。純はこれまでの父親がかけてくれていた色々な思いをあらためて感じ、このお札をずっと使わずに肌身離さず持っていたが・・・。
※詳細は「北の国から87 初恋」をご覧下さい。
言いたいことは
純とトラックの運転手さんは「泥の付いた一万円」に一万円以上の価値『思い』を感じていたということ。
そのお金をどれだけの苦労をして用意したか。
上京するその歳まで、どれだけの事をして頂いていたのか。
19世紀のイギリスの学者
マイケル・ファラデーという方がこんな事を言っている。
ある日、学生達を集め少量の液体が入った試験管を持ち言いました。
「先程、ある学生のお母さんが私のところに来られた。子供の事が心配のあまり、涙を流して語っていかれた。母親の愛情の深さには、本当に心を打たれるものがある。その時の涙が、この試験管の中に入っている」
「確かに涙を化学的に分析すれば、少量の塩分と水分にすぎない。しかし、母親の涙の中には、化学も分析しえない深い愛情がこもっていることを知らなければならない」
ファラデーさん。
紳士である。
先程の「泥の付いた一万円」であるが、何も感じずに受け取る人、すぐに使う人もいるだろう。
もしかしたら「うわー泥が付いてる。汚い。」と思う人もいるかもしれない。
親が子を思い流した涙を、水と一緒だと思う人もいるかもしれない。
その一方で
お札に付いた泥を見て、その方の苦労や育てて頂いたご恩を感じる人もいる。
大切な方を思い流した涙には、化学では測れない「思い」が入っていると感じる人もいる。
人それぞれだが、どちらが豊かな心を持っているか。
「親想う 思いに勝る 親心」 by吉田松陰の辞世の句の一節
その思いを感じる事が出来るか・・・。
合掌
※観てない人はぜひ「北の国から」御覧下さい!
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